絵本・児童文学研究レポート

絵本・児童文学についての自由研究ブログです

子どもの世界『いやいやえん』

『いやいやえん』

 中川李枝子 作 大村百合子 絵 子どもの本研究会 編集 福音館書店 (1962)

 4~5歳頃から

 

【あらすじ】

ここは、ちゅーりっぷほいくえん。ほしぐみは、来年学校へ行くくみ。ばらぐみは、らいねん学校へ行けないくみ。しげるはまだ4つだから、ばらぐみです。しげるは、いたずらっこであばれんぼう。ほいくえんのやくそくもやぶってばかりです。あるときは、ほいくえんをさぼることもあります。「いやいや」ばかり言っているときは、「いやいやえん」に連れていかれることもあります。のびのびげんきなしげるとみんなのお話。

 

 

「これが子どもです」

 

このお話は、『ぐりとぐら』の作者で有名な中川李枝子さんの作品です。

挿絵を描いている大村百合子さんは、中川李枝子さんの妹さんです。(後に結婚して、山脇百合子さんになります)

 

中川さんは、保母さんをされていました。

その経験があるのでしょう。

『いやいやえん』には、子どものあるがままの姿が描かれています。

 

スタジオジブリ宮崎駿監督が、『本へのとびら ―岩波少年文庫を語る』の中で『いやいやえん』のことについて、このように述べています。

 

児童文学の歴史を見ると、大人が何か子どもにいいことを伝えたいと思うとか、・・・最初は教訓や、悪いことをするとひどい目に遭いますよというところから始まって、そのうちに、・・・「童心主義」の世界のように、童の心は純粋で尊いものであると、という考え方、・・・さらに、本当の子どもの姿を描こうという努力も始まっていました・・・そういうことを『いやいやえん』はすべて飛び越えて「これが子どもです」と出してくれたんです。

 

『いやいやえん』のお話は、子どものために、とか、子どもにこうなってほしいとか、そういうところを飛び越えているということです。

 

「くじらとり」というエピソードの中では、子どもたちは、つみきでふねを作って、それから、海へ出て、くじらをつかまえて帰ってきます。

(このお話は、ジブリ美術館用に短編アニメーション映画で上映されているようです。)

 

 

「山のぼり」のエピソードでは、先生に「ぜったいにのぼってはいけませんよ。」という黒い山にしげるは入って、くいしんぼうのおにに出会って、木の間にはさまったところを助けてもらいます。

 

どこからが本当のほいくえんのお話?

どこからが子どもたちの想像のお話?

 

それが、子どもの遊びの世界だと、宮崎駿監督は語ります。

 

子どもたちにとっての遊びの世界って、現実と空想の境目がないんですよ。空間にも時間にも束縛されていません。中川李枝子さんは、それをそのまま受けとめて、そのまま書ける人なんです。子どもというのはほんとうにばかなことをする。何回も泣かせたりして、でも最後は手をつないで帰る。反省しているかどうかも分からないけれど、今は仲良く手をつないで帰る。いい話ですね。

 

空間と時間にしばられ、原因と結果ばかりに気をとられて、自我で世界を読み解こうと思っている人間たちは、『いやいやえん』の世界に出逢うと、どうしていいか分からなくなってしまう。自我というのは、だいたい周りの、両親や兄弟や友人たちに対する反発でつくられている。『いやいやえん』はそういうのがないレベルのものだから、自分の自我にもとづいて、これがくだらないとかいいとか言っている人たちは、手も足も出ません。

 

このお話には、こんな意味があって、こんな思いが隠されている・・・

という類のものではないのでしょう。

 

「これが子どもなのだ」

 

ありのままの子どもの姿を見つめる、ということ。

 

こちらが勝手に解釈して、いい、悪い、すごい、とか決めつけてしまっていることも多いのではないかと改めて感じました。

 

参考文献

『本へのとびら ―岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 岩波書店 (2011)