『からすたろう』
八島太郎 文・絵 偕成社 (1979)
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【あらすじ】
その子は「ちび」と呼ばれていました。その子は先生を怖がって、何一つ覚えることができませんでした。友達もいません。勉強の時間も休み時間も一人。しかし、ちびは、授業中たいくつしない方法を見つけ出します。天井も、友達の肩のつぎはぎも、窓も、研究する値打ちがあるほど、何時間ながめてもあきません。校庭では目を閉じ、耳を澄ませ、ムカデやイモムシをつかまえて観察しました。そんなちびのことをみんなは理解できず、「うすのろ」「とんま」と呼びました。しかし、ちびは、毎日学校に通ってきました。6年生になった時、いそべ先生が担任になりました。いそべ先生は、ちびのたくさんの才能をみつけます。そして、学芸会でちびに「からすの鳴きまね」をさせました。
「からすたろう」。その学芸会以来、みんなは親しみを込めてそう呼ぶようになりました。
恩師にささげた絵本
『からすたろう』の作者である八島太郎は、あとがきでこう述べています。
「この絵本を 磯長武雄、上田三芳の 恩師に ささげる」
「―この物語に登場する磯部先生は、この恩師二人の想い出をあわせてつくったものである。磯長先生は、支那事変の上海上陸戦でいち早く戦死され、上田先生は八十歳をこえて今なお御健在ときくが、当時はまだ二十歳をいくらも出ていない若い先生であった。」
あとがきを読み、だから作者はこの物語が書けたのだと感じました。
「磯部先生」のような恩師との出会い。
作者、八島太郎さんが出会った恩師も私は素晴らしいと思うのですが、その恩師の心を、思いを、絵本という形にして、つなげてくれた八島太郎さんにも敬意を表します。
物語の主人公、ちびは先生からほうっておかれても、友達から嫌われても、毎日、毎日、学校に通いました。
勉強がわからなくても、自分で楽しむ方法を見つけていました。
ちびは、学校の勉強ができなくても、対象をしっかりと見つめ、観察し、自分で研究することをしていました。
ちびは、毎日、日の出とともに家を出て、日没に家に帰りつく、そんな生活をしていました。
ちびは、何時間もかかる遠い道のりを歩き、からすの鳴き声をとてもよく聴いていました。
だから、ちびは、学芸会でみんなが感動するような鳴きまねをすることができました。
朝、早く、からすはどんな鳴き方をするのか。
村の人に不幸があったときに、どのように鳴くか。
うれしくて、たのしい時には、どんなふうに鳴くか。
「だれの こころも、ちびが まいにち かよってくる とおい 山のほうに つれてゆかれました。」
『おしまいに、一本の ふるい 木に とまっている からすを まねて、ちびは とくべつの こえを だしました。「カアゥ ワァッ! カワゥ ワァッ!」』
「こんどは だれもかれも、ちびが すんでいる、とおくて さみしい ところを はっきりと そうぞうすることが できました。」
今まで先生からは、見向きもされなかったちび。ほうっておかれたちび。
友だちからは嫌われていたちび。
しかし、いそべ先生は、ちびが、「野ぶどう」や「山いも」のあるところをよく知っていたこと、花のことをよく知っていたことをみつけ、クラスのみんなを連れていきます。
ちびの描いた白黒の絵、ちびしか読めないような習字も壁に貼りました。
そして、先生はよくちびと二人で話をすることがありました。
今まで、ちびがしてもらえなかったこと。
ちびのことを今までの先生も、子どもたちも見ようとしなかったということ。
知ろうとしなかったということ。
作者は「からすたろう」に自分を見ていたのでしょうか。
それとも、同級生にそのような子がいたのでしょうか。
いずれにしても、素晴らしい恩師に出会えたことは変わりがないのだと思います。
もしかしたら、今も近くに「ちび」みたいな子が、いるかもしれません。
その子のことを、しっかりと見つめてあげられる、教師が、友達が、家族が、誰かがいますように。